自由論
不安定な中東情勢と呼応するように、欧州では移民規制の波が強まり、テロ摘発と人権のせめぎ合いが目立ってきました。最近のメディアでの議論を煮詰めると、「安全をめぐって、個人の自由には限界があるのか」という論点に絞られるような気がします。
『自由論』でミルが強調したのは、個人の自由は不可侵であり、個人の意志に反して権力を行使しても正当とされる唯一の目的は他の成員に及ぶ害の防止にある、という点でした。明解な定義です。
次のような話を聞いたことがあります。人間は、名声と金と自由の三つの大望のうち二つしか叶えられない。名声と金がある人は自由を失う。名声と自由を求めれば金を失う。金と自由のある人には名声がない。
どうやら人には自由を渇仰する型と権力を志向する型があり、両者は相容れないような気がするのです。ではその違いとは何か。自由とは私は私だという自己同一性への希求です。権力とは彼らは私だという自己拡張性への期待です。
両者の闘争は抜き差しならぬものであり、その人物の人となりを証します。私にとって「自由」とはそのようなものを意味しています。
外岡秀俊「自由論」
震災と原発 国家の過ち 文学で読み解く「3・11」 (朝日新書)
- 作者: 外岡秀俊
- 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
- 発売日: 2012/02/10
- メディア: 新書
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