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人生において、大きな違いを生み出す些細なことの中には容易なこともあるが、その一方で大変なこともある。直感的なこともあるが、予想外のこともある。学校で習うこともあるが、多くの場合はそうではない。
私の10歳の誕生日に母がくれたひと袋のメモ付きカードが、私が今までにもらった贈り物の中でもっとも大切な物の一つだったのだろう。
その年齢の頃に、母は私にお礼状の書き方と、お礼状がいかに大切かということを教えてくれた。お礼状を書くことの大切さは、今なお母の最も貴重な教えの一つである。
他人があなたにしてくれることには、すべて機会費用がかかっていることを忘れてはいけない。つまり、誰かが、自分の時間を割いてあなたの面倒をみてくれたとすると、その人には、自分自身や、誰か他の人のためにできなかったことがあるのだ。
頼みごとは些細なことだったと考えて、自分をごまかすのは簡単だ。しかし、忙しい人にとっては、些細な頼みごとなどは存在しない。自分のしたいことを中断して、あなたの頼みごとに取り組み、それに応えるために時間を取らねばならないのである。
そのことが頭にあれば、あなたのために何かをしてくれたひとに大して感謝する必要がない場合など存在しない。現実には、そうする人は非常に少ないので大勢の人の中であなたが際立つのは間違いない。
何よりもまず、世の中には50人しかいないことを忘れてはならない。もちろん、これは文字通りには正しくない。しかし、このように感じられれることが多いのは、世界のどこにいても、自分の知り合いや、知り合いの知り合いとばったり出会うことが多いからである。
あなたの隣に座っている人が、上司や、従業員や、顧客や、義理の姉妹になるかもしれない。私は、かつて上司だった人が私のところに助けを求めてきたり、私自身かつての部下たった人のところへ教えを請いにいったりしたことが何度もあった。
時がたてば我々が演ずる役割は驚く程変わっていくし、あなたの人生に何度も登場する人々に驚くことになるだろう。
我々はかくも狭い世界に住んでいるので、たとえどんなにそうしたい衝動に駆られても後戻りできない状況を作らないことが本当に大切である。
出会う人すべてを好きになることはないだろうし、出会う人皆があなたを気にことはないだろう。しかし、敵を作る必要はない。
たとえば次の仕事を探すときに、あなたの面接をする人があなたの知り合いを知っているということは大いにあり得る。あなたが何十人もの応募者がいる勤め口の面接を受けているとしよう。面接はうまくいき、あなたはその仕事にぴったりの人物のようである。
面接の最中に、面接官があなたの履歴書を見て、あなたがかつて面接官の古くからの友人と働いていたことに気づく。面接の後、彼女はその友人にすぐに電話をかけ、あなたに尋ねる。あなたの過去の業績に関する彼女の友人からの何気ない言葉が、就職を確かなものにするかもしれないし、逆に望みを断ち切ってしまうかもしれないのだ。
このように、あなたの評判はどこへ行ってもあなたの先を行くのである。本質的に、評判は最も大切な財産である。だから、それをしっかりと守りなさい。しかし、この先失敗することがあっても、過度に動揺してはならない。時間と共に、傷ついた評判を回復させることは可能である。
他人と共にした経験は、すべて池に落ちゆく水滴のようなものである。その人物との経験が増えるにつれ、水滴はたまり、池は深くなる。プラスの関わり合いは、透明な水滴で、マイナスのかかわり合いは赤い水滴である。
つまり透明な水滴がたくさんあれば一滴の赤い水滴を薄めることは可能であり、その数は人によって様々である。
非常に寛大な人なら、マイナスの経験を薄めるために、ほんぼいくつかのプラスの経験、つまり透明な水滴しか必要としない。一方で、あまり寛大でない人の場合は、赤い水滴を洗い流すのに、ずっと多くの透明な水滴を必要とする。
同様に、多くの人にとって、池はゆっくりと枯れていくのである。その結果、我々は、昔に起きたことではなく、最も直近におきたことに注意を向けがちになる。
この比喩の言わんとすることは、もしあなたがプラスの経験を他人との間にたくさん蓄えていれば、ひとしずくの赤い水滴にはほとんど気がつかないということである。これは赤インクを一滴、大海に落とすようなものである。
しかし、あなたがそのことをよく知らなかったら、一つの悪い経験が、池を真っ赤に染めることになるのだ。赤い水滴が薄れるまでプラスの経験で池を溢れさせることによって、マイナスの関わりを荒い流すことは可能である。
しかし、赤が深ければ深いほど、その分だけ多くの池をきれいにするために働かねばならない。私は、池の色がきれになることは決してないと思ったことが幾度かあった。そう思った時が、その人物との関わりをやめる時である。
筑波大(前期理系)英語